プロフィール

こんにちは。はらくん(@harakunishere)です!このブログを書いている人です。

このブログは最初にこのプロフィールから書き出しています。なのでこのブログにたどり着いて読んでくださっている方がどのような方なのか、どういった内容の記事がこのブログに乗っているか(乗せていくか)などまだ未知数なんですよね。

でも、これからこのブログを運用していくことにとてもワクワクしています!

今回は、このブログを訪れてくれる方が、今後書く記事の内容以前に『「はらくん」ってどういう人生歩んできてどんな価値観を持っているの?』ということを書いていこうと思います!!

「はらくんがどういう人か」というのを分かった上で記事を読むと情報の伝わる正確さだったり、情報に乗っけられた思いだったりも伝わりやすいのかなぁと思っているんですよね。

皆さんも人生楽しいことばかりじゃないですよね?辛いことだってあります。

なのでこの記事の中には辛い経験だったりそういうものも書いていこうと思います。

割と前半はまだハッピーな内容が多いと思いますので、「マイナスな事は読みたくないよ〜」って方は前半部分までで読み止めておくことをオススメします!(まあ、また気分が乗った時に読んでいただけたら嬉しいです。)

はらくんの生い立ち

僕は田舎で生まれました。田舎なので自治会内の繋がりは密接で屋号で呼び合ったりしているほどでした。

(ちなみに屋号というのは家紋のように各家の特徴を元にしてつけられる呼び名です。なので川の下にある家だったら川下とか、住んでいる人の名前とは別につけられるものです。)

さらに、どれくらい田舎かというと自分の住んでいる自治会の中には買い物をするところがなかったんです!自動販売機ですら隣の自治会に行かなければなりませんでした。

それでも、幼少期は快適に過ごせた覚えがあります。周りは緑に囲まれていましたし、おじいちゃんやおばあちゃんは家の前の畑で野菜やお花を育てていました。ひいおばあちゃんが子供の頃はよく相手をしてくれていました。

父親は自営業だったり、母親は医療系に勤めていたこともあり僕はおじいちゃんとおばあちゃんに育てられることになっていきます!

はらくんが保育園の頃

僕は保育園に入りました。保育園には遊び場みたいなのが外に用意されていますよね。今思えば狭いところだなぁと思いますが、その当時はとても広く感じました。実際色々な遊び道具がありました。砂場や滑り台、ブランコ、少し小高い山、木登りできる木。

もう昔のことなのでその時の心情までは覚えていませんが、なぜか同学年の子とは遊ばずに二、三個年が上の人とばかり遊んでいた記憶があります。多分安心できたのかもしれないですね。

保育園の頃は、喧嘩に明け暮れていました笑 喧嘩といってもまあ遊びなんですが、二チーム派閥みたいなのができていてそのトップの人を祭り上げます。そしてチーム対抗で殴り合いの喧嘩をしていました笑もちろん幼かったのあり互いに殴り合っても大した怪我にはなりません。怪我をするとしたら転んで木張りの床に頭をぶつけるぐらいでしょうか。

こんな感じで保育園は過ごしていましたね。ただ、やっぱ両親が朝家にいない時も多かったので、そのまま寝過ごして昼くらいに母親に連れられて保育園に行ったりとか、その頃から引きこもり体質だったのかもしれません笑

はらくんが小学生の頃

小学校に上がると集団登校で朝同じ自治会の人はまとまって登校します。そうするといきなり5つ年上の先輩方と付き合うことになります。そこで色々なことを学んだ気がします。バカにされたり、からかわれたりもしましたが、先ず体の大きさが全然違う。やんちゃな考え方もその当時は少し大人に感じました。学校行事や地域のお祭りのことなどその時の先輩方から聞いて知る多かったですね。

そんな感じで、登下校が比較的同じ方向だったり、同じ自治会の友達はいましたし、学校では友達は多い方でした。でもなんせ家が学校からかなり遠いし、住宅とかもない。つまり仲のいい友達の小学生が遊びにこれる距離ではなかったんですね。

そこで、学校が終わると何をして過ごすかということですね。TVを観ました!ずぅぅぅっと観てました。帰ってNHKの教育テレビをつけて「おじゃる丸」「忍たま乱太郎」「クインテット」「天才テレビくん」の流れでずぅぅっと観てました。一週間に一度の「ドラえもん」と「仮面ライダー」を楽しみにしていた気がします。

土日には、NHKの教育テレビでやっている「ブラックホールの話」「アフリカの話」「戦争の話」なんかを朝から晩まで観ていました。あんだけ観ていたのに「よくも目が悪くならなかったなぁ」と不思議でならないです笑

ですが、テレビを観ているといい事もあります。ただ単にものすごい量の情報を受け取ることになるので知識がつくのもあります。たまに真面目な番組の時はひいおばあちゃんやひいおじいちゃんなどの人生の大先輩方が「アフリカはこうでなぁ〜」とか。ひいおばあちゃんに関しては明治生まれなので「戦争の時はこんな感じでなぁ」みたいな事を教えてくれます。

そんなこんなで同年代よりも知識があったので、「自分より知識が無い人、考えて生きていない人」の下で動くのは嫌だというちょっと偏った思想を持つことになりました。また「絶対に歴史に爪痕を残すぞ」「何もやらなかったら自分が生きている意味はない」というような、、なんかこの時期が一番意識高い考えを持っていた気がします。ただ単純に好奇心旺盛な時期だったのもあると思います。

なのでクラスの係り決めなんかは割と重要な役割に立候補したり、年に一度学年ごとに劇や歌を歌ったりする文化祭的な催しでは絶対に主役に立候補しました。夏休みの自由研究も毎回かなり力を入れていました。特選という賞を取ったりもしていました。

ただ、そうなってくるとやっぱりイジメられたりするわけですよね。でも今思ったら仕方ないなとも思います。明らかに浮いていたので、、、でもその当時はとても辛かったです。僕はあんまり嫌いな人ができるタイプではないので、自分が嫌いではない人から嫌われるのって結構キツイですよね。キツかったです。

そんな中でも親友と言える友達は何人もできました。そしてその親友に誘われて少年野球をはじめました。運動は全然得意ではなかったのですがとても好きでした。野球部に入ると周りにやんちゃな友達も多かったです笑

そんなこんなで過ごしているとだんだん自分が苦手なことやできない事も分かってきます。

  • 字を綺麗に書くこと
  • 早く走ること
  • 長打を打つこと
  • 盗塁をすること
  • 友達と長く付き合うこと   など

大学生になった今でも上に書いたことは苦手です。字を綺麗に書いたりするのは半分諦めた感があります笑

逆にいうと自分だから上手くできたり、長く続けられたりした事もありました。

  • トランプなどを学校に持っていきみんなで遊ぶきっかけを作る
  • 流行りを作る
  • 情報を集める
  • 先生と対等に会話する

特に情報を集めることに関しては面白い事をやっていました。

小学生の後半にもなると「誰が誰のことを好きになっているのか」というのが物凄いみんなの関心ごとになりましたよね。僕の小学校では、「AくんがBさんのことが好き」という情報は物凄い価値を持っていました。「おやつあげるから教えてよ」というような取引(笑)が普通にありました。僕もそういう情報にはとても興味があったので情報で情報を買うことをはじめました

自分が知っている情報を相手に話す代わりに相手が知っていて自分が知らない情報を教えてもらう

そのうち自分の知識がデータベース化されてきます。なので「はらくんならAくんの好きな人知っているかも」という感じになりました。ただ情報の取引をする相手は自分の友達に限っていましたね。

小学校では、一気に人間関係も広がったので一番学んだことは人間関係かもしれません。

はらくんが中学生の頃

まあ色々あったものの中学校に無事進学しました。そして中学校の野球部に入りました。物凄いやんちゃな先輩に囲まれていました。暴力は当たり前でしたね。かえるは幸い暴力を振るわれるようなことは無かったので、先輩方に連れられて甲子園の予選を見に行ったりしていました。怖い先輩も一度仲良くなると、とても頼りになったり優しい先輩でした。

ですが、やっぱり中学は同じ部活の人と仲良くなって、部活以外でも一緒に過ごす時間が多くなっていきますよね。そうすると自分自身もやんちゃになっていきます。授業中にノートを取るなんてことはまずありませんでした。ずうっとおしゃべりか女の子にちょっかいをかけたりするだけ。今思えば本当に申し訳なかったです。

挙げ句の果てには先生が怒って授業をやめて職員室に帰っていきました。さらに言うと先生をを泣かせちゃったりした事もあります

それでも僕らは「ラッキー」くらいにしか思わず話つづけました。勿論学級委員もいましたが、学級員が野球部の友達だったので笑

ですが、そんな学校生活が親や先生 (特に野球部の先生は生活に厳しかった)が放って置くはずがなく、テストの点も悲惨だったため、部活では生活態度が改善するまで体力づくりだけしかできないというようなのが何回もありました。

でもやっぱり、「あいつ頭悪いよな。」と言われるのは悔しかったです。また、そんな無茶苦茶な学校生活を送っていると周りのクラスメイトからも次第に煙たがれることになりました。挙げ句の果てにまたイジメらました。この時は本当に調子に乗っていたと思います。人の気持ちを考えることをしなかった。そんな中で部活の仲間の中でも自分の悪口をいう仲間も出てきました。逃げ場所は、勉強しかなかった。

やればできる子なんだからやりなさい!

母親の言葉を聞いてから、テスト期間(部活は休み)遊び倒してた僕は勉強するようになりまた。

中学校のテストというのは [数学 英語 国語 理科 社会]でしたよね。その当時の僕の点数は500点満点中270点でした。半分も取れていればいいじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、一年生のテストでコレです。”I am HARAKUN.”がかければ半分いくようなテストです。

それくらい勉強してなかったので勿論大変です。もう完全に気力でしたね。泣きながら勉強した夜もありました。

一つ救いだったの中学生のテスト範囲ってすごい狭い!なので勉強を初めて次のテストでは500点満点中320点まであげる事が出来ました。点数が上がってくれば「あとはこっちのもの!」勉強が楽しくなってきます。結局三年生になる頃には500点満点中470点を取る事が出来ました。

なんか、胡散臭い合格体験記みたいな内容になってしまいましたね。でも実際に点数で自分の努力の成果が現れてくれたので自信がつきましたし、人生の中でとても大きな出来事でした。

そんなこんなで、自分を見直しながら勉強もして過ごしていた中学生活。ついに最後の年になりました。僕がいた中学校では最高学年になると「文化祭で出し物をできる」というのがありました。

元々すごく歌が好きだったのもあり、バンドを組みました。

元々組んでいたバンドでもない、ただ文化祭に出るためのバンド。でも、友達が一緒にやってくれました。多分勉強もせずに他人のことを考えない中学の最初の頃だったら絶対に成功させることはできなかったと思います。

そして部活では、地区予選も突破し最後の総体では県大会で三本の指に入る事が出来ました。部活の部員とは色々ありましたね。先輩方からのしごきや厳しい練習に一緒に耐えたり、遊んだり、いい仲間でした

こんな感じでとりあえず僕の中学校の話は終わりますが、本当に色々ありました。本当に、、 でも高校受験もなんとか成功し、最高の卒業の仕方ができたと思います。

中学校は、人生の酸いも甘いも嚙み分けた そんな時期でした。

追記:そういえば中学校のこの時期に族や少年院に入る同級生、先輩、親が離婚して母子家庭の子、に会いました。(田舎だと母子家庭って珍しいんですよ。しかも子供同士でそういう会話あまりしませんもんね。)

はらくんが高校生の頃

僕は頑張って勉強して県内トップレベルの進学校に入ってしまいました。

しかし、言ってもそんな東京や関西など都会の進学校ではないです。なのでそこに集まる人も保守的な人が多く、とりあえず親に言われたから勉強した、古い常識にものすごく囚われている人ばかりでした。元々勉強ができる人が嫌いだったのも(なんか薄っぺらいなと思っていた)勿論同じ高校の大多数は嫌いでした。

高校に入ると先生からこう言われました。

君たちは他の高校の生徒と違ってこの地域を背負っていく人になるんだから、三年間しっかり勉強していきましょうね!

学校をやめたくなりました。この頃の僕はまだまだ中学を卒業したばかりで甘えもありました。理想主義者でした。

なので「君たちは他の高校の生徒と違って」という言葉が胸に突き刺さりました。

中学時代の野球部の友達は野球に明け暮れてたのもあり、同じ高校に進学したのは一人しかいませんでした。「勉強できるか。できないか。それで全てが決まるのか?」「そんなに偉いのか?」「この学校に合格する以上に勉強でないことを頑張っている人もいる!」そんな風に思いました。勉強以外を頑張っている人は「価値が低いのか?」「中卒の先輩の方がこの学校の人よりも性格いいし優しい。優しいことに価値はないいのか?」そんな反発精神が芽生えました。

最初の学校の中間試験はそれでも中学時代の名残から勉強して、クラストップレベルの成績をとりました。しかしそれから授業をやめました。こんな学校の授業を聞いて東大に合格するくらいなら、自分で独学で勉強して入れる国立大学 (授業料が私立よりも安い)に入ればいいと思いました。ずっと内職をしていたんです。

そんな風な学校生活を送りました、部活にもいくつか入っていて全国大会にもいきました。

ただ、やっぱり中心は勉強でした。学校と合わなかったこともあり、もっとレベルの高い所に行けばもっとまともな人に会える!まともなところで勉強できると思いました。

結局、学年2位をとりました。そして志望大学を東大にしました。偏差値は80を超えていました。

そうこうしているうちに、二年生になりました。大体この時期に大学受験を目指している人はオープンキャンパスをして自分の志望校をどこにしようか?また、自分の志望校を見てモチベーションを高めると思います。

僕も、東京大学へいきました。オープンキャンパスでは東京大学の学生と話すことができました。そこで感じたのは「なんで僕が理解できる程度の、驚くようなことを言わないの?」そんな風に思いました。僕の中で「東大はすごい!東大いく人は頭いい!神!」そんな風に思っていたので、かなりガックリしてしまいました。(今思えばお話してくださった東大生の方も研究室では僕の理解の範疇を超えたことをやっておられただろうし、実際に彼の優秀さもヒシヒシと理解できます。)

と同時に、オープンキャンパスに来ていた同じ高校生に驚きました。

東京大学の教授の方とその専門分野について語っていた高校生がいました。

国立大学に入るということは、税金を国から投資してもらっている中で勉強しているということになります。

そうした時に「果たして僕はそのお金を使って研究していいのだろうか?」「その高校生のように僕より優秀な人が僕の分の研究費を使った方が世のためになる」そんな風に思いました。つまり夢がなくなってしまったんですよね。大学入るという夢が。もちろん就職のために大学に入る方もおられるかも知れませんが、僕に就職のために大学に入るという選択肢はありませんでした。(今は研究分野もその研究に必要な知識レベルも多様だったりすることを知って柔軟に考えることができるようになりましたが、、、)

オープンキャンパスから帰ると僕は不登校になっていました。(不登校といってもお昼前に学校についたり、途中で抜け出したり、ズル休みしたりする程度です。)何もやる気が起きませんでした。今まであんだけ頑張って来た勉強の意味が無くなったと思ったからです。さらに言うと、勉強ならある程度は他人と勝負できると思っていました。

でも、そんな僕を理解してくれる友人も何人か学校でできていたし、勉強ができるから他人を見下すような人とは合わなかったので、特進クラスの希望を出さずにどちらかと言うと進学校の中でもマイペースに勉強以外もやりながら楽しく過ごすクラスに入っていました。(実際に、大学入ってからわかりましたが、模試の偏差値で人間の価値を見られるようなところが自称進学とか地方の進学校では良くあるようです)

なので、球技大会とか学園祭などには顔を出して、テストは受けていました。また不登校といっても大体3年生の夏くらいからは殆ど大学受験の為に自習中心の授業だったりになるのでなんとかなっていたように思います。

そんな適当な生活を送っていましたが、やっぱりそういう高校に入っていることもあり大学受験をしました。

京都大学を受験しました。

そして、落ちました。判定的にはそんなに悪くなかったですが、やはり勉強も足りなかったし、本当に本当に適当でした。

そんな感じで僕の高校生活は終わりました。勉強にかなりのリソースをつぎ込んだ高校生活の結果は大学受験失敗でした。高校生活が無意味だったかのように感じられました。

高校時代は僕があまりにも理想を追い求めた為に自滅してしまった期間だと思います。この期間がきっかけで暗黒の浪人時代に入るのですが、、、

今思えば、そんなに悪くない高校だったと思うし、周りの同級生もキチンとした人ばかりだったので、もう少し楽しめば良かったかなぁと思ったりします。

はらくんが浪人生の頃

大学受験に失敗し、どうするか?となりました。周りの大学受験を失敗した人は浪人するとあって、僕も浪人しました。(もちろん就活なんかしていなかったので現実的にそれしか選択肢がなかったです)周りの友達は予備校に通い始めていました。

僕は完全な引きこもりになりました。一応形だけは宅浪(予備校などに通わず自分で勉強する)でした。もともと学校でも独学でやっていたので宅浪という形は問題なかったのですが、やっぱり無理でした。高校二年生のオープンキャンパスから全く回復していませんでした。

両親は共働きで家にいないし、帰ってきても勉強しろ!と言われる毎日。祖父母に相談するわけにもいかず、ひたすら家にこもってインターネットで昔のドラマや映画を観まくっていました。ドラマや映画を観ているときは自分が置かれている立場をひと時忘れることができました。

その当時は本当に死の恐怖が襲っていて。「明日死ぬ」と思っていました。なのでお風呂も入らないしご飯も食べなかったです。(朝ごはんなど食べる時間が家族と合わなければ自分で作るようなルールになっていました。)今でも少し書いていて恐怖が蘇ってきますね。

戻りたくない!

そんな風に思います。

それでも、その当時観た色々な古いドラマや映画が今年上の方とお話しするときのいいネタにもなっていますし、いい作品を知れたのは良かったです笑

そんなこんなで2年過ぎました。だんだん引きこもりにも飽きてきました。辛いを通り過ぎて飽きてきました。

もともと物覚えはめちゃめちゃ悪いですが、一度覚えたことは忘れないタイプだったので志望校を落として、受かる大学に入ろう。大学生活を遅れば、心も少し回復するかも知れないし、人生変わるかも知れない。とりあえず今は地獄だ。と思い。それでも少しは大学受験の勉強をできるような状態に回復していたので、無事ある程度のレベルの大学に入ることができました。

正直、浪人時代はあまり中身はありません。その割にぎっしりと辛い思い出が詰まっています。ただ時だけが過ぎ、辛い思いだけが募った浪人時代でした。

それでも、浪人時代の辛い経験は変かも知れませんが、今の自信になっています

追記:実はこの浪人期間に働いたりもしてました。

はらくんの今! 大学生やってます。

僕は今大学生です。

僕は 入りたい大学ではなく入れる大学に入りました。それでも世界には学べない人が沢山います。綺麗事ですが、ありがたいなと思っています。

普通に飲みに誘ってくれる友達、大学の難しい授業の内容を教えてくれる先輩。色々な人に支えられて今僕は生きています。

大学生になった今、目標ができました。それは出来るだけ周りの人を幸せにすること。そして周りの人を幸せにして、お金を稼いでご飯を食べること。そんな思いがあります。

綺麗な女の人にはプレゼントをあげたいし、友達とはお金を気にせず美味しいものを食べたり飲んだり旅行にもいきたいです。お婆ちゃんを飛行機にも乗せてあげたいし。

お金の事情で大学進学や専門学校に行けない人の為にお金を出してあげたい!

とにかくお金に縛られずに自由にいきたい!

みんなと仲良く自由に生きたい!

 

はらくんはそんな思いを持って生活している一人の大学生です。